凡庸な言い回ししかできなかったら何が悪い!
名言が名言となりうるのは、その言葉が心に刺さるからです。
「それはそうだ」
「なるほど」
「目からうろこが落ちた」
など、読み手に深い感銘を与えるのは、欲していた言葉を届けることが出来たからでしょう。
文章術で名言が生まれる背景を見ていきましょう。
Contents
ちょっとしたコツで文章に深みを与える
名言も普通の文も意味を受け取るだけなら同じ
みなさんが覚えている名言はあるでしょうか。
千里の道も一歩から
という言葉がありますね。
名言じゃなくてことわざじゃねーか!
というツッコミをする方もいると思いますが、ぼくが間違えていただけです。すみません。
大きなことを大成するには、日々の出来事をこつこつとこなしていって、それが結果となってやがて大きなことも成し遂げられるという意味ですね。
でも、これは簡単に言い直すと
「毎日コツコツ頑張れば報われる」
ですね。
毎日頑張る事に関しては、同じなのに、「千里の道も一歩から」のほうが、こころに残りやすく、またその言葉を通じて前向きに頑張ろうと思えるような気がします。
名言は、情景が思い浮かぶ
普通の言葉と、名言で何が違うのかと言うと、言葉の中に情景を想像させるものがあるかどうかという違いです。
ここでの、情景を与える単語は「千里の道」と「一歩」です。
ほぼ全部じゃないの!
重ね重ね、例題が悪かったようです。
「千里の道」という言葉からはどこか古いような道を連想します。
ここで、アスファルト舗装の道を連想した人はなかなかいないと思います。
いたとしたら言葉に惑わされない自我を持った人なのかもしれません。
道の想像をしたとき、アスファルトでなければ、土の道、石の道、農道や草原などの「歩きにくい道」を想像することが多いかと思います。
ぼくは土の道で両側に草むらがあるような道を想像しました。
いずれにしても、平坦ではない、歩くのに一苦労する道を千里も歩かなければならないと思うと、「この道は大変だ」「踏破するのは困難」という思いに駆られるでしょう。
そして、「一歩」ですが、これは「自分の力で」という事を強くイメージしたかと思います。
交通手段が発達した現代においては数百キロ、数千キロの道のりも、時間はかかりますが困難な道ではありません。
乗り物に乗っていれば目的地まで半自動的に到着することが出来ます。
ところが、自分の足で長距離を歩こうとすると、千里はかなりの長距離。
1里はだいたい4kmなので、4000kmです。ここでは、実際の距離と言うよりも、「はるか遠く」という意味合いのほうが強いでしょう。
自分の足で遥かなる距離を歩かなくてはいけないことに、大変だという気持ちがありながら、「道」に例えることで「到着点」あるいは「終着点」があることも示唆しています。
そこまで意識しないとしても、「千里の道も一歩から」を聞いた後は
終わりがあるなら、そこまで頑張ってみよう
という前向きな気持ちで取り組めるようになるはずです。
そして、この「道」と「一歩」は、唱えている間に、自分の環境に勝手に置き換えて想像もしています。
夏休みの宿題に追われている人がいたとしたら
千里の道 = たまりにたまった宿題
一歩 = 一つ一つ片づけていくこと
と置き換えます。
残業して明日のプレゼンに間に合わせようとしている会社員なら
千里の道 = 明日のプレゼンのための資料作り
一歩 = 資料を1枚ずつ作って行くこと
というように置き換えて、自分を奮い立たせているのです。
千里の道も一歩からという自分とはかけ離れた状況であるにもかかわらず、知らずに人は自分の状況と置き換えているので、言葉が自分の事のように思えて、同じような状況でも頑張った人がいるならぼくも頑張ろうという気持ちになれます。
スティーブン・ホーキング博士の言葉
人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに成長しなくてはならない。
そしてただ自分の置かれた状況の中で最善を尽くせばよい。
これは普通の言葉にすると
・人生は公平ではないと自覚せよ
・ベストを尽くせ
ですね。
成長具合の尺度として
「人生が公平ではないことを悟れるくらい」
としています。
言い換えると「人生は不公平」です。
この時に読み手としては、自分の人生の中で不公平なことがあったことを思い出すでしょう。
自分の生まれながらの容姿だとか、家の環境、受験や就職でうまくいかなかったことなどを思い出して「確かに人生は不公平だった」と納得して言葉を受け入れることが出来ます。
また、人生の中で不公平なことなどないと思った人は、それは自分の視点の中だけの話で、実際に世の中に目を向けてみれば、不公平なことがまかり通っていることを知りません。
その日のご飯を食べられない人もいるし、寝る場所もない人もいる。そういった人たちの事が出てこないようなら、世の中の事を知らないし、視野が狭く未熟だとも受け止めることが出来ます。
スティーブン・ホーキング博士自身が体の自由が利かない人物だということが分かれば、彼の言う「人生は不公平」は体の自由を持っている人と持っていない人の不公平感を表していることも分かります。
前半部分の言葉を受けて
「そしてただ自分の置かれた状況の中で最善を尽くせばよい。」
とありますが、「自分の置かれた環境の中で」を前半部分の「不公平感」と重ねて、「不公平な環境にいても全力で頑張ればよい」として伝わる事でしょう。
不公平な環境とは、これまた聞いた人それぞれが、自身に当てはめて思い描くことになります。
「人間関係」だったり、「職場環境」だったり、自分の体調だったりと様々です。
「世の中には公平でないことではたくさんある。でも、それにこだわって気に病んでも仕方がない。周りがそういう環境ならその中で頑張ろうぜ!」
という博士の言葉を自分が直面している不公平さと重ね合わせることで、自分を応援している言葉のように響き、こころに刺さるのです。
言葉を少し大げさに盛る
名言に対して「盛っている」というのはいかがなものか、と思うかもしれませんが、表現の具合がとびぬけていればいるほど印象に残るものです。
衝撃を受けた
という言葉の程度を表す場合には
頭をぽかりとやられたような衝撃を受けた
よりも
ハンマーで思いっきり頭をぶん殴られたような衝撃を受けた
のほうが、衝撃を受けた度合いを高く受け止めると思います。
以上を踏まえたうえで、次は実際の名言です
サッカーのイビチャ・オシム監督の発言
2010年アフリカワールドカップで、対オランダ戦で負けた時の発言
日本に欠けていたのは殺し屋の本能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫
これは普通に言ったら
日本は気迫が欠けていた
でしょう。
どれくらいの気迫が必要だったのか、という度合いで「殺し屋」を出してきました。
やるかやられるかの世界という緊迫した気迫。そのくらいの気迫が必要だったのに日本にはなかった。
チャンスに必ずゴールをゲットするヒットマンが日本サッカー界にはいなかったというように記憶に残る言葉かと思います。
トーマスエジソンの発言
発明王とされたトーマスエジソンの有名な言葉
I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.
私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
これも普通に言うなら
失敗したけど諦めなかった
という事になりますが、10000回というものすごい試行をしたけど失敗して、それでも諦めずに頑張ったということです。
10000回という回数がすごすぎて、実感がわかないと思いますが、それくらい失敗して、でもめげずにやる気を出していたら成功したという事ですよね。
ここで重要なのは、10000回という回数が、本当の事でなくても構わないという事です。
おそらくエジソンもきちんと回数を数えていないと思いますし、この試行回数もいろんなところに載っている情報では数に違いがあります。
でも、大変な努力をしたという事は伝わってきますし、読み手の心に強く響いたのではないかと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
名言のような文章を生み出すには
・情景を思い浮かべるような言葉を添える
・やや過剰な表現を用いる
ことで実現できます。
むずかしそうと思って挫折しなくても大丈夫です。
上の記事を読んでもうだめだと思ったとしても練習で身に付きます。
たったの1000回練習すればよいだけなのです。
というわけで諦めずにアレンジを続ければ文章力は身に付いていきますよ。