環境省ツイートのプチ炎上に見るネットリテラシー
土用の丑の日は平賀源内が考えたキャッチコピーだったら何が悪い!
という、ほとんどの日本人が知っているであろうことをあえて言ってみました。
22日夜に環境省公式ツイートが発したツイートがプチ炎上しているようなので、ネットリテラシーについて考えてみたいと思います。
今回はコラム的なものになります。
ネットリテラシーとは
「ネット」はインターネットの意味で、「リテラシー」は、英語のliteracyからくるもので、「読み書きする能力」とあてはめられています。
ネットを読み書きする能力?意味わかんねー
まぁまぁ。落ち着いてくださいよ。
元の意味は以下の通り。
書き言葉を、作法にかなったやりかたで、読んだり書いたりできる能力
出典: ja.wikipedia.org
…。これを読んでもよくわかりませんね。
ざっくり言うと、対象を適切に扱える能力と言えばわかりやすいでしょうか。
「書き言葉を、作法にかなったやりかたで、読んだり書いたりできる能力」を例にとってみると、対象は「書き言葉」ですね。
作法にかなったやり方というのは、言い換えると「ルールを逸脱しないやり方で」ですね。
という訳で、書き言葉をルールを逸脱しないやり方で適切に扱う能力。これならわかりやすくなったでしょうか。
なお、「ルールを逸脱しないやり方で」は補助的な意味合いで、単に「書き言葉を適切に扱う能力」と言ってもいいでしょう。
現代では、リテラシーの前に単語をつけて○○リテラシーと呼んだりするのが一般的になってきています。
意味はその○○を(ルールを逸脱しないやり方で)適切に扱う能力と考えれば大体オッケーでしょう。
wikipediaに色々載っていたので引用です。
メディア・リテラシー(Media literacy)
コンピューター・リテラシー(Computer (Digital) literacy)
情報リテラシー(Information literacy)
視覚リテラシー(英語版)(Visual literacy)
ヘルス・リテラシー(Health literacy)
精神リテラシー(英語版)(Mental literacy)
金融リテラシー(英語版)(Financial literacy)
科学リテラシー(Scientific literacy)
マルチメディア・リテラシー(Multimedia literacy)
統計リテラシー(英語版)(Statistical literacy)
人種リテラシー(英語版)(Racial literacy)
文化リテラシー(Cultural literacy)
環境リテラシー出典: ja.wikipedia.org
先頭についている名称は「分野」を表していることが一般的です。
なので、その言葉が含む意味はかなり広範囲を指します。
コンピューター・リテラシーと言えば、「コンピューターを適切に扱える能力」になり、コンピューターの設置から、操作方法などまで幅広く知識があり、コンピュータを目的の達成のためにうまく使うことが出来る能力を意味しています。
使う場所やタイミング・時期によって意味するところが変わってくるのが難点ですが○○リテラシーは上記のような意味合いです。
そこで、元の話に戻ってくるとネットリテラシーというのはインターネットをうまく扱える能力と言えます。
これは
・インターネット上から情報を探すことが出来る
・探した情報をきちんと取捨選択できる
・ネット上のデータの扱い方を知っている
・インターネット上でのマナーを知っている
ほか。
ですね。分野が広いので、他にもネットリテラシーに該当するものはあると思いますが、思いつかないので、とりあえずはこれで。
この項目がうまくできていないと「ネットリテラシーがない」と言われてしまいます。
今回の件
問題のつぶやきは、「食品ロスにならないように大事にいただきましょう。食べる方はできるだけ予約して、季節の行事を楽しみましょう!」と呼びかける内容。同省の食品ロスに関するサイトへのリンクも張られていた。しかし、ニホンウナギは環境省がレッドリスト2019で「近い将来における野生での絶滅の危険性が高い」として絶滅危惧1B類に指定している。
つぶやきは「ウナギ」が天然か養殖かや、ウナギの詳しい種類についての記述はなかったが、ネットにアップ直後から「ウナギの破棄問題はわかるけど、この時代にわざわざ食べることを推奨しますか?」などと批判が相次いだ。
批判者側の問題
批判者側は「なぜウナギを食べることを推奨するのか?」と批判していますが、環境省担当者の意図することとは違う解釈をしています。
これは、情報発信が、一方通行のために起こることです。
お互いが目の前にいるならば、これは違うんじゃないのか?と意見した時に「いや、これはこういう意味なんですよ」と意図の解説が出来ますが、情報が一方通行なので、受け取った方は、その情報で解釈するしかないのです。
その時に、解釈間違いが起こることが当然あります。
同じツイートを見ても
これ、そんなに悪いことなのか?
別に食べることを推奨した訳じゃない。食べたいなら予約しましょうと、当たり前のことを言ったに過ぎないのに。
という意見を持つ人もいて、受け取り方がさまざまだということが分かりますね。
ネット上ではしばしばブーメランという言葉が使われますが、正論(風)で他人を批判している人が、批判される側になってしまうことです。
ぼく自身もかなり経験がありますが、「こういうアドバイスはどうだ(ドヤッ)」って感じでコメントをすると「いや、それはちょっと違う」という返しをもらってしまってがっくりきたことが多々あります。
対面していない分、相手の言わんとしていることを注意深く理解しないといけないでしょう。
加えて、ネットをやっている時って、ほぼ一人かと思います。
集団でやるのは動画を見る時くらいですかね。
1人だと、意識の切り替えができないところがあります。
この批判側の人は「環境省がウナギを食べることを推奨している!→絶滅危惧種が全滅してもいいのか!」という気持ちがまずあったと思いますが、近くに「いや、そういう意味じゃないよ」と言ってくれる人がいたらツイートの文章の意味を見返したと思います。
・ネット上の情報を正しく読む
・自分の意見は見当違いじゃないか考える
この二点はネットに触れるうえで大事ですね。
環境省担当者の問題
環境省が公式ツイッターで「(ウナギを)大事にいただきましょう」と投稿し、批判が相次いだ問題で、同省は23日、投稿では飲食店検索サイトからうな重の画像を無断転用していたと明らかにした。
環境省の担当者の方が、飲食店検索サイトから無断転用した画像をツイート文に添えていたのが問題視されています。
こちらはネット上にある画像の扱いというネットリテラシーが十分ではなかったと言えます。
ツイート担当が個人なのかグループなのかわかりませんが、もし個人の担当だったとして、グループ制にしていたら今回のようなことは起きなかったかもしれませんね。
・使用していい画像なのか判断する
これも意識しないとわかりづらい事なので、画像を使って発信する時は注意が必要と言えるでしょう。
ネットリテラシーは学ぶ機会がない
最近の学校教育はわからないので、イメージで書いてしまいますが、ネットリテラシーを積極的に学ぶ機会は少ないのではないかと思います。
うまくインターネットを扱えている人も、数々の経験、特に失敗を経て学んできたことが多いのではないでしょうか。
インターネットというものが出来てからまだそんなに月日が経っていませんし、どう教育するのがベストなのかは模索段階かもしれません。
パソコンやスマホを使用してインターネットを利用するのは知識がなくてもできます。
そういう機能が備わっているので、操作すれば誰でも同じように使用できます。
この知識がなくても操作できる状態が実は危ういのですが、なかなか実感がわきません。
環境省の担当の方も、飲食店検索サイトから画像を持ってきていますが、保存できる機能があり、添付できる機能があるから利用したという事だと思います。
そこには注意書きなどがありませんから知識や経験がないとなかなか気づけません。
ぼくはインターネット黎明期から触れているので、数々の失敗(痛い発言やら、他人に迷惑をかける文章を書いてしまったりとか)とともに、なんとかやっていいこととやってはいけないことの判断が付くようになってきました。
黎明期はやれることが少なかったので、文章を書いたり、画像を貼ったりくらいしかできず、動画なんて扱えませんでしたから失敗してもダメージが少なかったです。
ところが、初めてインターネットに触れる若い人たちにとっては、インターネット上でやれることが格段にたくさんあります。
特にスマホとの組み合わせがすごくて、写真や動画を撮影して即座にネット上にアップできることは楽しいことですし、素晴らしい機能だと思います。
でも、それゆえに、失敗した時のダメージもかなりでかい。
バイトテロという言葉があるように、してはいけない行為の画像や動画をネット上にアップしてしまい、企業が謝罪するニュースが後を絶ちません。
これもネットリテラシーの欠如とも言えますし、単純にモラルが低いとも言えます。
ただ、想像の範囲外の事は想像できないので、本人たちも悪いのですが、仕方ない面もあります。
しかし、初めてバイトテロが報道されて、それでも2度も3度も別業種や別の人が繰り返し行っているのを見ると、「バイトテロをしてしまったのはその本人の問題」という認識で、ネットにつながる仕組みが危ういというのを理解していないと感じますし、そういった方がまだ結構な割合でいることの証明とも思います。
とはいっても、すべての事に先回りして先手を打つことはできませんから、個々の事態を想定するよりも、もっと共通して使える対処法が必要です。
しらべて考える力を育てる
ネット上で失敗することの理由として「いけないこととわかっていなかった」「結果がどうなるか想定していなかった」があげられます。
ネットでなくても、同じ理由で失敗することは結構あります。
ぼくはデザインの仕事をやり始めたころに印刷物の作成ルールがわからなくて、シールを作ったけれど、それが使えないものだったので、作り直したことがあります。
作り直しには時間もかかりましたし、作り直しの費用も掛かりました。あの時は周りの方々に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。
でも、その失敗があってから、「どうやったらいいんだろう」という気持ちを持つようにして、事前に調べたり、知っている人に聞いたりするようにしました。
この考えかたはきっとどの分野にも当てはまることで、知らないことをやる時はまず調べることが重要ではないかと思います。
それこそ、ネットを利用してという事になりますが。ただ、ネット上の情報はウソも多く含まれているので、この情報は正しいのかと考えることも必要になります。
そういう「調べる」→「(正しいのか)検証する」といった流れを繰り返していくうちに、段々と想像力もついてきます。
想像力と多角的に考える思考と言いますか。
この人はこう言っているけれど、他の意見はないのかな?
という具合ですね。
わからないまま突き進むことが怖いと思えるようになれば、情報を得るにはどうしたらいいかを考えるようにもなるので、知らないことの危険性を説くのもいいかもしれません。
まとめ
ネットはちょっとした意見に対して、いろんな角度から意見が飛んでくることがあります。
賛同するものであったり、逆に反対意見であったりします。
健全な意見交換なら良いと思いますが、相手の事を理解しないで自分の意見を押し付けることになるとトラブルになることがありますので、自身の発言と、行動に矛盾がないかを振り返りつつ、ネットでの活動をしたいものですね。
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