「お客様は神さま」には実は文が省略されていた?間違っているかもしれない言葉の解釈
「お客様は神様」という言葉はよく耳にする言葉ですが、現場レベルでそこまで思う人はどれくらいいるのでしょうか。
日本ではお客様を大事にしている事が前提としてありますが、神様レベルまでいく人はなかなかいません。
それもそのはず、お客様とは「概念」であり、個人を指してはいなかったのです。
見ていきましょう。
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お客様は神様に見られる解釈
もちろん言葉のあやですから、実際にそんな風に思っている人はごく少数でしょう。
現代での解釈では概ね以下のような意味合いで使われている事から、お客様は大切にしなくちゃと思いますよね。
・商品を買ってお金を落としてくれる
・商品や会社に至らないところがあった時にクレームをつけて、そのクレームを元に改善処置をすることが出来る
商品を買ってお金を落としてくれる
会社として提供するのは、形あるものだったり、形のないサービスだったりしますが、その商品に対して、お金を支払ってくれるわけですね。
自分たちでお金を作ることが出来ないのですから、外部からお金を持ってきてもらうしかないのです。
そのいただいたお金を、会社の社員に給料として払い、各個人は給料をいろんなところで使ってお金が流通していきます。
じゃあ、この外部からのお金が途絶えてしまったらどうなるの?と考えると、もう生きていけなくなります。
商品が売れなくなれば、入ってくるお金が無くなり、会社は倒産。
不特定多数のお客様によって生命線を握られているのですから、大事に思う気持ちは必要ですね。
クレームによって、至らないところを教えてくれる
もとからダメな商品を提供しようなんて考えるところはないので、自信を持って商品を提供するのですが、お客様によっては満足がいかない場合もあります。
その時に、「クレーム」として、会社や、サービスを提供している人に文句を言います。
文句を言われた点は、「ダメなところ」なわけで、これを改善すれば、ダメなところをなくしたより良い商品としてパワーアップすることが出来ます。
大きな会社などは、クオリティ管理として商品リリース前に、テストを行うのでそんなに粗はないのですが、テストが十分にできない規模の会社ですと現場に出してからクレームがたくさん出てくるという事が多くありますね。
特に最近ではゲーム関連で、目にすることが多かったりします。
ゲームはぼくの子供の頃と違って、高度化、大規模化しており、すべての部分をチェックするのが難しいくらいになっています。
また、ゲームをする人が増えて、ユーザーの求めるレベルが上がってきているのも問題と言いますか、クレームを生み出す要因の一つになっていますね。
そのゲームだけ見たら十分に及第点だけれど、他の名作をプレイしてしまったから、そちらと比べると評価が落ちてしまうことがありますので、ゲーム開発に携わっている方は大変だなぁと思います。
脱線しました。
クレームをつけないで、今度はそのお店や商品にかかわらない「サイレントマジョリティ」と呼ばれる人も増えてきていますので、その離れていった神様たちを何とか引き寄せられれば、もっと改善が出来そうなのですが、難しいところがあります。
現場レベルでは、神様ではない
現場では個人対個人になる
現場レベルというのは、お客様一人一人と顔を合わせて対応している人たちの事を指しますが、この人たちからすれば、本当にいろんなお客様がいるわけです。
「いい人だな」と思うレベルから「げっ、なんだこいつ」というレベルまでいますので、すべての人を同様に神様扱いはできないのです。
もちろん、何があっても笑みを絶やさず、迅速に対応するような人もいますが、心の中まで笑っているかはわかりませんよね。
全てのお客様をマニュアル通りに捌くことはできないので、その個人を見て、微調整しながら対応することになります。
個人で対応していると、「満足してもらいたい」と思ったり、「滞りなくやりとりをできるようにしたい」と思って、対応することが多いのではないかと思います。
そこには個人的な感謝は生まれても「神様やぁ」と思うような感情は生まれないのではないかと思います。
先に「対応に満足してもらいたい」という気持ちが出てくるからですね。
現場を見ていないと神様になる
お客様は神様だから大事にしろ!とするのは現場を見ていない人の言い分でしょう。
現場が死に物狂いで働いている時や、お客様の対応でゲンナリしている時に「お客様は神様」などと言い出したら「わかってない」と思われるのがオチです。
店頭でめっちゃクレームを入れてくるクレーマーに対して「弊社のクオリティをさらに上げようとしてくれているのだな。感謝感謝」などとは思わないでしょう。
現場に訪れるのは、個人です。
その個人を「神様」といって、現場にいない人間が持ち上げたりしてしまうと、現場の人間が苦労してしまいます。
それはつまり、現場の人間をないがしろにしてしまう行為になりますので、むしろ「現場でお客様対応してくれるスタッフこそが神様」というくらいに感謝をしてくれる上司なら、現場も頑張れます。
個人対個人でやり取りをしているのが分からないと勝手に神様になる
「お客様は神様なんだから」という理由で横柄な態度をとる客がたまにいますが、これも勘違いですね。
勝手に神様を気取られても、実はそこでは「個人(店員)」対「個人(お客)」というだけの関係で、神様になるのはもう少し後の話になります。
データとして集計され、「イタい客の対応マニュアル」に組み込まれてそこで、神様に昇華できるのです。
もし「お客様は神様なんだからな!」といって息巻いていることがあったとしたら、相手は「めんどうくさいダメな客」と思っているだけなので、これからは気を付けましょう。
他国はあまりそういう文化はない
【漫画】アメリカに来て学んだこと5選【マンガ動画】
こちらの動画では、アメリカでの店員さんの様子が描かれています。
そっけなさ過ぎるのも寂しいですが。
最初の「お客様は神様」の意味
最初に「お客様は神様」と言ったのは、演歌歌手の三波春夫さんだそうです。
インタビューでこの言葉の意味を尋ねられた時にこんなことをおっしゃっています。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
~中略~
いきさつについての本人の著述を最後にご紹介いたしますが、“お客様を神様とみる”という心構えであることを舞台の上で話したことが始まりで、それは芸能生活としては22年目、歌手デビューから数えると4年目の1961(昭和36)年のことでした。
~中略~
三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。
われわれはいかに大衆の心を掴む努力をしなければいけないか、そしてお客様をいかに喜ばせなければいけないかを考えていなくてはなりません。お金を払い、楽しみを求めて、ご入場なさるお客様に、その代償を持ち帰っていただかなければならない。
お客様を神様と思う事で、自分の気持ちを集中させ、最高のパフォーマンスを見せ、来ていただいたことに報いる。
という心構えの話だったのですが、「お客様は神様」という短いフレーズから、そこまでの意味をくみ取ることはできず、「お客様=神様」という図式が広がったようです。
「(お客様と接する時の心構えとして)お客様は神様(とみて最高のパフォーマンスをする)」
と考えればよさそうですね。
まとめ
一般的に広がって認知されている「お客様は神様」という言葉ですが、最初の意図としては、自分に向けて鼓舞する言葉でした。
でも、これは人と関わって仕事をする人にはぜひとも持っていてもらいたい気持ちですね。
ぼくは「お客様は神様」という言葉は、そんなに好きではなかったのですが、自分のパフォーマンスを高めるために持っていたい言葉になりました。
みなさんも心の中におひとついかがですか。
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