啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)の第12話「蒼空」のネタを解説
最終回ですね。直接的な死は描かれていなかったので、まだそのあたりに啄木が「京助さん」と言いながら出てきそうです。
解説は個人的な感想ですので、間違いがあればご容赦くださいませ。
第十二首 蒼空
冒頭の告解 |
加世さん視点でそれぞれ見つめていきます。 1人目:達吉。「毎日毎日無理やり・・・」 2人目:御曹司が女中を殺した事件がありましたが、その女中。 3人目:11話で亡くなっていた男性。「政府のお偉いさんが使用人を殺した」と金田一は言っているので、その使用人。 4人目:成瀬。 |
啄木 「それでも新しい明日は来るとぼくは信じています」 |
その直前の4人が絶望に打ちひしがれているのに対して、未来を明るいものと信じている啄木との対比表現。
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啄木 「実は人の命がかかっていましてね」 |
成瀬が村川に対して恨みに思っているのは、おそらく村川から借りたお金が暴利で、身ぐるみはがされるくらいにお金を取られてしまったこと。 そして、お金がないので、おなかが空いて、やけになって村川を襲おうとしていた。 そこで、啄木は成瀬にすき焼きをごちそうしお腹が満たされたうえで、村川への復讐心を変えようとしていた。 実際、すき焼きを食べ、いくばくかのお金をもらった成瀬は故郷へ帰っていく。 村川の命も成瀬の命も救ったことになります。 |
加世さんのしたこと | 告解に現れた苦しんでいる人の悩みを聞き、悩みのもとになっている人物を、(社会的に)抹殺しようとした。
悩みに来た人たちに、「生きる意味」として、世間に害悪をばらまいている人物を殺させようとした。 達吉の事件の場合は、実行したものの、啄木が告発状が偽物だという事を見破ったので、小栗は罪に問われていません。 環さんの時も園部を告発するために、環さんをそそのかしたとも言えます。 |
不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸われし 十五の心 |
啄木が、十五の時に詠んだ歌ではなくて、後年、若いころを思い出して読んだ歌になります。 不来方の盛岡城跡にて、草の上に寝転んでいると、空に吸い込まれそうだった十五の頃の私の心よ。 爽やかな雰囲気の歌ですね。 そんな青空と、寝転んでいるので向かい合っているわけですが、一面の空に自分の心が吸われるような感覚というのは、若いころにしか体験できないものではないでしょか。 大きな空に向かって、気持ちを持つというのは、それだけ未来に向かって希望だとか明るい気持ちを持っているという事になります。 が、この前後の歌の関係からすると、そこまで爽やかでもありません。 啄木はこの盛岡城跡には、授業を抜け出して、来ているとされています。 教室の窓より遁(に)げてただ一人かの城址(しろあと)に寝に行きしかな 悩みや鬱屈した思いを抱えて、教室を飛び出し、盛岡城まで来た啄木は内面は重い気持ちがあったかもしれません。 でも、そんな気持ちも関係なしに大きく広がっている空と向かい合っていると、吸い取られて、こころが晴れていくようだったと感じたのでしょう。 歌を作ったのが大人になってからなので、少年時代を思い出した時に、印象に残っていた出来事に違いありません。 加代さんが15歳という設定は、この歌にかけるために作られた設定でしょう。 |
啄木 「そういえば、加世さんておいくつなんですか?」 加世 「来月15になります」 |
この頃、満年齢と数え年の切り替えを行うよう政府からの指導があったのです。
明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受けて、満年齢を使用するようにしていますが、旧暦の年齢計算では数え年が使われていました。 1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなりましたが、一般的には数え年が使われ続けました。 1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により、満年齢での年齢の数え方を定着させました。 なので、加世さんが数え年で数えていたとしたら、この時は満年齢にして13歳。 満年齢での年齢を考えていたらこの時は14歳になります。 |
金田一 「あ、日本総百科事典がある」 |
日本総百科事典は調べても出てこなかったので、別の百科事典の改名でしょうか。
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加世さんが、盛岡城で桜の花びらをつかみ取ろうとするしぐさ |
桜の花びらをつかむと願い事が叶うと言われています。 でも、加世さんは花びらをつかむことが出来ませんでした。 |
萩原朔太郎 「小説の方はどうだい」 平井太郎 「はい、団子坂の古本屋を舞台にしたものを考えていまして」 |
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縦覧所の壁にかかっている額「己が罪」 | 己が罪は、菊池幽芳の家庭小説。 1900年から1901年にかけて連載。 1908年に映画化。己が罪の文字の右側には「池幽芳著」文字があるので、書籍の方を宣伝しているのかもしれません。でも、時代的には映画の方が公開が近いので映画かも。 |
吉井勇 「君子豹変す、さ」 |
君子などの得の高い人物は、自分に過ちがあれば、即座に正して行いを変えるということ。
萩原朔太郎の「恋を応援する 君子豹変す、が一つの言い回しなのですが、自分の事を君子と例えているならかなりの自信家ですね。 |
縦覧所の壁にかかっている額「探偵奇譚ジゴマ」 |
1911年11月にに浅草の金龍館で封切られ大ヒット。 内容としては怪盗ジゴマの犯罪劇(殺人・強盗など)であったため、影響を受けて犯罪に走るものが現れた。 そのため、上映禁止の措置がとられている。 |
吉井勇 「いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」 |
実際に吉井勇作詞の歌である。 |
啄木の最後の歌 | 見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。 給仕づとめの少年が たまに非番の日曜日、肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ…… 見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。リイダアの独学をする少年と、飛行機の対比がある歌。高い位置を飛んでいる飛行機と、自宅で独学している少年。 少年には仕事があり、肺病持ちの母親がいて、色んなことにとらわれている状態です。 でも、そんな環境でも独学して高みを目指そうとしている少年に、「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。」 アニメ中では、肺病に侵されている啄木が、苦しい状況だけれど、それでも自分にできることをし遂げて高みを目指すことの宣言に聞こえてきますね。 |
金田一が持ってきた「悲しき玩具」 |
啄木の死後に編纂された詩集。 アニメ中では金田一は「じゃあ、また」と、さよならではなく、再会を予感させる言葉で啄木に挨拶している。 |
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