【7月7日更新】【完結】(12話まで)啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)のネタを解説
4月から啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)のアニメが放送開始になりました。
歌人・石川啄木を探偵に据え、助手を金田一京助が務めます。
探偵ものが好きな人にとっては楽しみになるかと思います。
各話で解説できそうなところは解説していきたいと思います。
ぼくは、学識はないので、ほとんど集めてきた情報になりますが、それでよろしければお付き合いください。
Contents
各話の話
第一首 こころよい仕事
親友であった彼が死んでから10年 | 話の冒頭で金田一京助が語る言葉。
アニメの放送開始は2020年4月13日ですが、これは本当に石川啄木と同じ命日。 1886年(明治19年)2月20日 – 1912年(明治45年)4月13日) |
颯爽としていた友 嘘つきでやんちゃだった友 泣き虫で友情に厚く、独りよがりだった友 酒のみの女好き ロマンチックなサディスト 先見の詩人 そして天才歌人だった友 |
お金の無心に関してはあんまり触れてなかったりします。 |
蓋平館 | 金田一が入っていく建物。
【史実】最初は赤心館に入っていた啄木ですが、お金がなくて、この蓋平館に引っ越してきました。 蓋平館は現在では「蓋平館別荘跡」となって、石碑が残るばかり。以前は「太平館」なる建物があったようですが、今はアパートになっているようですね。 |
啄木に金田一が差し出したマッチとたばこ | 燐寸とはマッチの漢字表記のこと。
煙草の方は村井吉兵衛が手掛けたタバコのCAMELIA。 が、物語の時代は明治42年から明治44年までなので、昔に買っていたたばこを長く吸っていたと思われます。 カメリアは色の名前を指し、椿の花のようなピンクがかった赤を指します。 長楽館という京都の菓子屋さんが、このタバコを模したお菓子を販売している模様。 中身はお菓子ですが、外箱はこのタバコの外装をまねています。 上のリンクから長楽館様の商品ページにとべますよ。 |
机のガスランプ | まだ電気が普及していないので、明かりはガスランプ。 換気をしないと危険な場合があります。ガスランプはそれほど明かりが強くないので、点けても暗いことが多いそう。 |
ハイネの「ブッフ デル リーデル」じゃないですか | クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 – 1856年2月17日)のこと。
ブッフ デル リーデルはBuch der Liederと書き、日本語では「歌の本」と訳す。 啄木はドイツ語の勉強を始めた頃に日記にこの「ブッフデルリーデルを辞書を使って読んでいる」と書いていたようです。 |
こころよく 我にはたらく仕事あれ それをし遂げて 死なんと思ふ |
この歌を詠んだ当時の啄木は、小説家を目指していましたが作品が評価されておらず、文章の校正などを行って給料を得ていました。
つまり、やりたい仕事では無い仕事をしていたという状況。 こころよく我にはたらく仕事あれ それをし遂げて死なんと思ふ という、今はやりたくないことをしているという、現状を悲しんでいる気持ちと、けれど、いつかはやりたいことが出来るように、歌が認められるようになるぞ!という前向きな気持ちも表している歌。 |
オープニング中の歌 浅草の凌雲閣のいただきに 腕組みし日の 長き日記(にき)かな |
浅草の凌雲閣の展望台で、腕組みをしながら今後の事を考えていたけれど、それに対する解決策は何も出ない。 日記の内容も長くなった原因かもしれませんが、啄木はローマ字日記という、ローマ字で文字を表現する日記を書いていました。 そのため、普通に書くよりも文字数が多くなり、長い日記になってしまったとも言えます。 凌雲閣は1話では開始から4分20ほどの所にあるシーン。 現存していません。 ローマ字日記をおこして掲載しているサイトがありましたので、リンクを貼っておきますね。 |
オープニング中の歌 さりげなく言ひし言葉はさりげなく 君も聴きつらむそれだけのこと |
さりげなく言った言葉を、あなたはさりげなく聴いていた。でも、それによって何かが起きたりしなかった。 ただそれだけのことだったんだ。言葉を発する、相手はそれを聞く。という事が行われた、それだけのこと。 啄木が何かしら意味を込めたものだった言葉が相手の耳には入ったけれど、その意味は伝わらなかった。ちょっと片思い風味の歌。 |
オープニング中の歌 ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中そを聞きに行く |
停車場というのは駅のこと。
駅の人ごみの中に、自分の出身地のふるさとの訛りが聞こえてきたから、わざわざその人ごみの中に入ってなつかしい訛りを聞きにいく。 啄木は上京していて、地元の岩手県からは離れたところに住んでいる。 そんな状況の中で地元訛りが聞こえたらなつかしさに震えてしまう。 |
オープニングの歌 はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る |
働いても働いても、お金はさほど手に入らず、裕福とは程遠い。そんなだから生活も楽にならない。
どうしたらいいんだろうと手をじっと見る。という状況を歌った歌。 手というのが、詠んだのが啄木なので、啄木の手を表していますが、その他の世間一般の労働者たち、一生懸命働いている人たちも手を見るという事が、自分のことのように思え、共感を生んだ歌。 |
オープニングの歌 興来(きた)れば友なみだ垂れ 手を揮(ふ)りて酔漢(よいどれ)のごとくなりて語りき |
啄木と金田一は、アニメ中にもあるように連れだって飲みに出かけていました。
そこで、友、つまり金田一が語ることに夢中になってくると、涙を流しながら、酔っ払いのようになって将来のことや周りの情勢の事を熱く語っていた様を歌っています。 仲良しだったんだなぁと思わせる歌。 |
オープニングの歌 よく笑ふ若き男の死にたらばすこしはこの世さびしくもなれ |
若き男というのは啄木自身のこと。
啄木はよく笑う人間だったし、周りにいる人間も笑わせる、いわゆる明るい人でした。 でも、自分の才能が認められない、つまりは才能なんてなかったんじゃないかという発想にとらわれてしまうと、自殺という言葉が思い浮かんできます。 もしこの自分が死んだら、自分の周囲の人は悲しんだとしても、少しは世の中でも寂しがってくれるのだろうか? でもこんな(才能のない)男の事を思って寂しがってはくれないのだろうな。世の中は変わらないのだろうな。 自分の状況と世間との関係を客観視している歌。 |
オープニングの歌 いつしかに情をいつはること知りぬ髭を立てしもその頃なりけむ |
自分の気持ちを偽るという事をするようになった。ひげを生やし始めたのもその頃だった。
という歌です。 これに関連している歌があって わが髭の下向く癖が 生やしているひげが、下向きになるのが腹立たしい。 って歌ですが、この時に生やしているひげを生やしたきっかけが「いつしかに情を~」の歌だったりします。 |
すっかりごちそうになってしまいました。 | なんとなく、この日だけごちそうになったというイメージがありますが、遊びの金はほとんど金田一が出したりしてます。 |
ちと髪をなでつけねえと出会茶屋 | 啄木の創作ではなく、当時の世相を反映させた川柳だという事です。
出会い茶屋は、お茶を飲むところではなく、連れ込みをする寝所、ラブホテルといった形態のところ。 上野の不忍池のあたりに十数軒あったそうです。 事に及んで、いざ出る時に乱れたしまった髪を撫でつけて整えなくちゃなぁというのと、「ちと」っていうのがおそらくですが、「乳(ち)」とかけていて、「出会茶屋に行くんなら胸とと髪の毛を触ってこないとな!ぐへぐへ」みたいな勢いもあったんだと思います。 |
文明開化から40年 | 作中は明治42年~明治44年頃の設定ですが、そこから40年前というと、明治になったばかりの頃。
この年から文明開化!というような時期はなく、文明開化というのはやや幅のある時期を指す言葉。ですが、啄木の中では明治になった=文明開化したというとらえ方のようです。 もっとも、啄木の生まれが明治19年で文明開化が起きた頃には生まれていなかったので、その頃だろうというイメージで話しているものかと。 |
警察官の装備 | 帯刀している描写。 ここで下げているのサーベル。 上級警察官しか帯刀が認められていなかったが、明治16年から下級警官もサーベルを持てるようになった。 また、上からのアングルの時に肩に見える、星マークと赤ラインは肩章で、明治41年から付くようになったので、明治41年よりあとということが分かります。 まぁ、作中は明治42年から明治44年の間とされているので、それを裏付けた格好になりますね。 |
手紙 | 長方形の何かがあったことはわかるが、「手紙」と断定するには根拠が薄い。
1.長方形のもの を考慮すると手紙になると思われる。 3の厚みがないものという条件は、アニメ画でいうと、被害者から左上方向に血しぶきが飛んでいた。 この時、厚みがある場合は、血しぶきがそのものにさえぎられて、左上まで届かない可能性がある。 だが、きちんと(?)血しぶきの形が崩れることなく左上まで飛んでいるので、厚みがないものと推測される。 |
岩井三郎 | 日本で初めて探偵事務所を開業した人物。 「岩井三郎事務所」(現・株式会社ミリオン資料サービス)創業者。-wikipediaより |
達吉と小栗の関係 | 男色は江戸末期、明治初期から違法とされて、あまり大っぴらにされなくなってきていた。
それでも、男性が集まる集団の中では多少は発生していた模様。 |
野村胡堂が読んでいる萬朝報(よろずちょうほう) | 日本にかつてあった日刊新聞。 1892年に発刊。1940年に廃刊。 名前は「よろず重宝」のダジャレがもと。 |
陸軍軍医の森林太郎先生 | 森鴎外。 森林太郎は本名で、陸軍軍医も実際の経歴。 |
小腹が減りませんか? | お金がないので、何か食べて帰りたい啄木だが、「おごれ」というのは憚られたので、誘い水をだしている。 |
停車場のあたり | 現在のお茶の水駅あたり |
本を売って家賃を工面 | 赤心館にいたときに、家賃滞納で追い出されそうな啄木の代わりに本を売ってお金を工面し、蓋平館に引っ越したのであるが、アニメでは最初から蓋平館に住んでいるので、引っ越しの描写はなく、お金を工面したところだけ。
史実では30円を工面したそうであるが、アニメでは40円になっている。 |
未練を断ち切って学問に打ち込むいい機会かなと思ってね | 金田一も文学を極めんとするひとりで、啄木のように文学で身を立てていきたいと考えていた。
けれど、啄木のために自身の文学書を売ってお金を工面しました。 文学書が作家になるために必須ではありませんが、これらを売ったことで気持ちを切り替え、言語学にいそしみます。 後に国語辞典とか出してくれているのですから、今の日本人の言葉の基礎を作ったとも言えますね。 |
死んだらあなた(京助)を守りますよ。 | お金や財産がない自分はこの世では、力になれないが、死んだら、死後の世界であなたを守りますということ。
ネット上だと、「生きてるうちに守れ」の意見が多数。 |
八雲(やくも)立つ
|
須佐之男命(すさのおのみこと)が櫛名田姫(くしなだひめ)と結婚する時に詠んだ歌。
結婚する時に雲がもくもくと湧き上がって、それが八重垣のように見え、結婚を祝福しているようでうれしい、という気持ちを読んだ歌。 |
エンディング ゴンドラの唄 |
本編にも登場した、吉井勇の代表曲。 1915年(大正4年)に発表された曲なので、啄木が聞くことはなかった。 |
冒頭で京助が持っていた「悲しき玩具」 | 石川啄木がなくなった後に出版された第二歌集。玩具は「おもちゃ」と読みます。
現在は、一握の砂とまとめられて刊行されていることがほとんどです。 |
蓋平館別荘跡
石碑だけになって少し寂しいですね。
凌雲閣跡地
凌雲閣跡地とされるところにはパチンコ屋があったりしました・・・。
第二首 魔窟の女
冒頭の分厚い本 | NEW TESTAMENT IN AINU と書かれていて、アイヌ語の新約聖書ということが分かります。キリストもYESU KIRISTOというつづり。 これがアイヌ語なんでしょうか・・・。アイヌ語は金田一が研究している分野のひとつ。(追記) 最初これは啄木が忘れていった本かと思ったのですが、これはお滝が自ら持っていたもののようですね。 3話で「北海道にアイヌ語の研究をしに来た金田一に惚れた」ということが分かりますので、金田一を慕って、アイヌ語の本を持っていたのでしょう。 |
福小町 | 福小町。秋田県にある木村酒造が作っている。 作中での瓶の形は珍しいもの。 |
啄木が近づいていることを感じたら読んでいる本を新聞紙と取り換えた金田一 | 読んでいた本は啄木の詩集。
キラキラとした顔で読んでいるので、好きな作品であることが分かる。 啄木の作品のことが好きだと、啄木自身に知られるとまた何かからかってきそうなので、新聞を読んでごまかしている。 でも、新聞が逆さまだったりする。 |
わが抱く思想はすべて金なきに 因するごとし秋の風吹く |
私が抱く、考えや、物事に対する意見(作品のことや当時の政治、自分を取り巻く環境のことなど)は、すべて金がないことが原因であるようだ。 外では秋の風が吹いている。秋の風というのが寂しさを表しているようにも感じられますね。 大きな大志や野望に基づく思想ならいいのに、自分の思想はお金に端を発しているのだというちょっと自虐的な意味合いを感じてしまいます。 |
歌は金になりませんね | つい読んでしまうくらいの才能があるんだけれど、この才能は金にはならない。 |
金田一が読んでいる東京朝日新聞 | 現在の朝日新聞の東日本地区で発行していたもの。昭和初期まではこの東京の「京」の字が「亰」(「口」の部分が「日」になる異体字)になっていた。 |
「しかしとんでもねえな荒川銅山は」 「こんなことでもなけりゃ賄賂をしこたまもらってるお偉いさんが握りつぶしてただろうぜ」 |
荒川銅山は、第1首(1話)で登場した荒川財閥のこと。 |
魚の骨を取る金田一 | 啄木がおそらくは魚の骨を取るのが苦手で代わりに取ってあげている。 過保護。 |
煙草と硬貨 | 煙草は前回も出てきたCAMELIAのたばこ。上に乗っているのは2銭銅貨。 明治から昭和初期にかけて流通。 画像はWikipediaより引用 二銭銅貨という江戸川乱歩作品がある。 |
小銭を本に挟む啄木 | 煙草と一緒にもらったおつりを本に挟んでいます。 |
提灯に的と矢の絵柄 | これはテキヤ、ではなく、「的に当たり矢」という紋。
いいことが当たり続けますようにという意味合いから、商売繁盛の意味として使われている。 |
「あら、はじめさんじゃないの」 | 石川啄木の本名は石川一(はじめ)。 啄木の本名を知っている人。 というよりも、啄木名義の方があまり知られていなかったのかも。 みんなが石川呼びをしているので、あんまり本名は意識されない。 |
壁に湯呑をつけて聞き耳を立てる啄木 | 壁に湯呑をつけるのは、そこから音の振動を感じ取って骨伝導で音を感じるため。
とも、口の広い方を壁につけて収音期のように音を拾うとも言われていますが、真偽は不明。 でも、ずっと廃れていないので一定の効果はある模様。 |
浅草署 | 現存する警察署の中でも古い歴史を持つ警察署。
1875年(明治8年)に設立。 2020年12月2日には145周年を迎える。 |
蟹文字で書かれていたので | 蟹文字は、横に書いていく文字という事。
蟹は横歩き → 横書き。 特に外国語を指す言葉して使われていたが、啄木はローマ字日記をつけていたので、おそらくローマ字日記を外国語と勘違いしての発言か。 |
帝大出の先生 | 金田一は東京帝国大学の文学科に進学して卒業しているが、お滝さんと金田一は初対面のはずなので、部屋に一緒にいる間に金田一が話したか、もしくはたびたび遊びに来ている啄木が「僕の友人にこんなやつがいてね」みたいな感じであらかじめ話していたのかも。
というか、このセリフを言っているお滝さんは啄木の脳内会話でした。なので、金田一の学歴とかに詳しいお滝さんになっているのかな。 (追記) |
接吻(せっぷん) | キス。 チュー。キスをするという行為自体は性交の時に昔からされていたが、キスという言葉として入ってきたのは明治になってから。 さらに接吻という和訳ができたのが明治20年頃。できてから20年くらいのことば。現代で言うところのポケモンみたいな感じ。 |
金田一の回想の階段の手すり | 手すりの始まりの接合部がすごく不安定な感じなのが個人的に気になりました。
あと、全体的に細め。体重支えきれなさそう。 |
第三首 さりげない言葉
新聞縦覧所 |
冒頭の啄木たちが集まっているのは新聞縦覧所といって、公費で新聞を買って、それを無料または有料で読めるようにしている施設。
当時は、一戸ごとに配達するというシステムが出来上がっていなかったので、お客の方が新聞のあるところに集まるというシステムの方が効率が良かった。
「牛乳新聞縦覧菊乳舎」とあるので、新聞の他に牛乳などの飲料もあわせて販売していたとみられる
また、娼婦のあっせんも陰で行っていたという側面もあり、飲み物を売る、菓子を売る表向きの商売をして、売春の隠れ蓑にしていたところもある。 |
テーブル中央のお菓子 | お菓子販売も行う施設だったので、取り出して食べてお金を払う仕組み。
容器の中に入っているのは半月どら焼きのように見える。 餡が白いので白あんかクリームを挟んでいる? |
啄木の後ろの張り紙 | 「新聞縦覧無料の事」とあるので、新聞を読むのは無料のようです。 これは気軽に来れるし、たまり場にもなりやすいですね。 |
萩原朔太郎 「クロ(猫)」が犯人 |
クロ(警察用語で犯人)だから |
吉井 「お女郎を身請け」 |
お滝は女郎屋で働く女郎という身分で、そこから抜け出すためには、身請け金というものが必要だった。
女郎屋にいるという事は大半は借金持ちで、その借金を返して、更に女郎が儲けるはずだったお金を納めるという形でかなりの大金が必要だった。 啄木に色々おごったりとお金に割と余裕のあった金田一でも、身請けするほどのお金をポンと出すことはできない。
|
お滝 「私は労咳(ろうがい)なのです」 |
肺結核の事。
お滝がこんこんと咳をしていたのはこのため。 |
啄木 「私が小説で京助さんが鼻の下に毛生え薬を塗っていることを書いたら」 |
鎖国が解かれて、外国人が日本に入ってきた時に、彼らがたくわえていたヒゲは、新しい文化→かっこいいというイメージになりました。
そのため、文明開化とされる明治では、口ひげをたくわえることがおしゃれ、という価値観に染まっていき、その頃の著名人の写真はひげを生やしている人が多いのです。
おそらく金田一は毛が薄い体質で、ひげが濃くなかったので、毛生え薬を塗っていた模様。
毛生え薬を塗る → 積極的におしゃれに取り組む のを知られるのがちょっと恥ずかしいお年頃。
中学生ぐらいから髪型にこだわるけど、こだわっていることを周囲に知られるとなんか恥ずかしい、みたいな感覚かと。
|
牛乳新聞縦覧菊乳舎メニュー |
マッチ 1銭
キャラメル 10銭 シベリア 10銭 汁粉 7銭 みつ豆 7銭 ミルクコーヒー 7銭 コーヒー 5銭 牛乳 3銭 優良牛乳 4銭 玉子入牛乳 5銭 チヨコレイト 7銭 ココア 5銭 紅茶 5銭 ミルクセイキ 10銭 ジャム付き食パン 5銭 酒類のメニューはないので、みんなが飲んでる酒は持ち込みか。
|
我輩も犬である 芥川龍之介著 |
夏目漱石が好き過ぎで16歳の時に真似て書いたもの。 表題が付いていない作品であったが、書き出しが「我輩も犬である」で始まっているので、仮のタイトルとして「我輩も犬である(仮)」となっている。書き出してくださっているサイトがありましたので、興味がある方はこちらから。 我輩も犬である |
芥川 「真相は藪の中」 |
芥川龍之介の短編に「藪の中」という作品があり、それとかけている。
「藪の中」は、事件に対して様々な視点から描写されて事件を論じているので、それぞれの話で矛盾が生じたりしていて真相を見えにくくしている作品。 今回の「魔窟の女(原作タイトル)」の話も、それぞれが自分の立場でお滝殺害の事件を論じていて同じ構造に見せかけている。 |
平井太郎 | 江戸川乱歩の本名。 |
吉井 「お若いようだけど学校はいいのかい?」 |
平井太郎は高校までは名古屋で、大学に入ってから上京してきた。 入学先は早稲田大学である。大学だったので時間に自由がきいた。 |
平井 「昨夜から先生方のあとをずうっとつけていた」 |
江戸川乱歩にはストーカー気質が実際にあった。 |
さりげなく言ひし言葉はさりげなく 君も聴きつらむそれだけのこと |
オープニングにも表示されている歌。
さりげなく言った言葉を、あなたはさりげなく聴いていた。でも、それによって何かが起きたりしなかった。 と、前に書きましたが、今回の話では、伝えたい言葉を持っていたのはお滝で、伝えたかった相手は金田一という事になる。 啄木はお滝の気持ちを知っていて、二人を引き合わせましたが、お滝の気持ちが金田一にはきちんと伝わらなかった。 お滝と金田一が部屋で交わした言葉はあったけれど言葉が交わっただけで気持ちが交わらなかった。 でも、部屋を出ていく時にお滝を案じて上着をかけていく優しさを見せた金田一にそんな気遣いが出来るなら、お滝の気持ちにも気付いてほしいという願いが啄木にはあった。 うまくいかなかったのに、「夢が叶いました。ありがとうございます」と書き残すお滝の気持ちと、そんなふうにお滝を満足させた金田一のやさしさがうまくかみ合っていれば、こんな結末にはならなかったんじゃないかなと啄木は思って、この歌を詠んだのかなと思います。 啄木がきちんと金田一にお滝の気持ちを伝えておけば、というのは禁句です。 |
二銭銅貨 | 江戸川乱歩のデビュー作。 ただし、この時、乱歩15歳。作品として世に放たれるのは14年後の1923年の事である。 |
第四首 高塔奇譚
国史大辞典 |
作中は1909年頃の話なので、国史大辞典は出版されてから1年ほどの出たばかりの本。 日本の歴史を扱う本というのは初めてであったために、人気が出た。 初版は本文2,400ページと付録230ページの年表と46葉の参考附図の別冊で構成。 |
啄木に手渡したお札 一円券 |
一円券は、2種類作られ、旧一円券、改造一円券として知られている。
この時金田一が手渡したお金は改造一円券。 紙幣の後面の「one yen」が端に寄っているのが改造一円券である。
改造一円券と言っても、違法な一円券ではなく、改良したバージョンと考えてよい。
もとの旧一円券は、強度を高めるために材料の中にこんにゃくが入っていて、それにより、虫やネズミに食べられてしまうという害が発生したために、その対策として新しい改造一円券が作られた。
面白いエピソードですね。 |
ユモレスク |
ジャンルという意味でも使われますが、ここでは曲名の事と思われる。 ドボルザークの「ユーモレスク」が有名。 このアニメの次回予告の時のバイオリンの曲がユーモレスク。 もしかして、啄木が弾いていたのかも。 啄木はバイオリンやピアノをたしなむ文化人としての側面もあったようです。
|
ワグネル |
ワグナー、ワーグナーの日本での呼び方。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワグナーの事を指し、彼の作曲した曲の事を指す。
ワグネルの書いた著作に、啄木が注目していたともされていて、音楽はその延長上で挑戦しようとしたけど無理だった、という事か。 |
十二階 |
凌雲閣が十二階建てであったことから、通称でそう呼ばれていた。 当時、十二階建ての凌雲閣が日本で一番高い建物であり、十二階という言葉が凌雲閣にしか当てはまらなかったことことから、定着したものと思われる。 見返したら1話でもこの十二階は使われてましたね・・・。 |
金田一 「ぼくはお腹もすいてないし2つずつで」 |
さっき金を貸したばかりの啄木がそれを使って飲食している事へのけん制。 |
啄木 「詩も短歌も小説も所詮は作り事ですから」 金田一 「えっでも、歌人と探偵は似ているって・・・」 |
『歌人と探偵は似ている』は1話で啄木が言った言葉。
|
啄木 「彼には3年前不来方に帰る際、とても世話になりましてね」 |
不来方(こずかた) 現在の盛岡の当たりを指す言葉。 正式な地名としてはないものの、長らく使われた言葉として、盛岡方面を指す雅称となっている。 新潟を越後と言ったりするような感覚か。 |
六郎 「人の足が十二階や活動写真から外に向いて」 |
活動写真
映画の事。この時代の映画の呼び方は活動写真であった。
十二階=凌雲閣は1911年に階下に「十二階演芸場」を新設。 凌雲閣は明治末期には客足がまばらになり、経営難になるがそのテコ入れで演芸場を設置。 十二階そのものよりも、演芸場に目を向けてくれたという意味。
|
啄木 「エンコの六郎さん」 |
エンコは公園をさかさまにして → 園公 → エンコ この公園は浅草公園の事を指し、そこから浅草の人という意味。
浅草っ子や芸人さんがよく使っていたとされる。
この回では、「エンコの(一帯を束ねている)六郎さん」という意味も。
|
つまくれない |
ホウセンカの異名。
でもありますが、爪の化粧、すなわちネイルを指す言葉としても使われています。 このこの時代の化粧は、白くする→おしろいなど、 黒くする→おはぐろなど、赤くする→口紅などの白黒赤の色で化粧していました。
赤い染料の材料としてホウセンカを使ったことから、この名前が付いたのではないでしょうか。
爪紅と書いて「つまくれない」。他のいい方としては「つまべに」もありました。 |
うす紅に おもいを残す鳳仙花(ほうせんか) 息ふきかけてみし 雪待ちの爪 |
うす紅の注した自分の指に気持ちが宿っているし、鳳仙花の面影も残している。 その爪に息を吹きかけ雪が降るのを待っている。この思いを成就させるために。
息を吹きかけるのは、爪に変なものがくっついて、紅色がはがれていくのを防ぐためでもあるし、雪が降りそうなほどの寒い季節だったので、指を温めていることの表現にもなっている。
後で下に挿入しておきますが、啄木鳥探偵處の公式ツイッターで、原作者のオリジナルの歌だということが分かります。
|
幻灯機 |
スライド写真のようなものの原型機。
ガラスに印刷したものを投影して映し出す。 英語ではmagic lantern 活動写真もかつては幻灯機の事を指していたが、時代とともに映画を指すようになっていき、意味がスライドしていった。 |
六郎の背中の紋 | 丸に一文字のようにも見えますが、一の部分が赤くなっています。
これにどういった意味があるのかがちょっとわかりませんでした。 「一」を使った紋は「トップになる」などの意味が込められていて、「浅草でトップ」なのだとしたら、浅草を仕切っていた六郎にはぴったりの紋ですね。 |
山岡の爪 | 啄木の3年前の回想の時に、既に小指が赤く塗られていました。
それが今も塗られていたのは、雪なんか関係なく恋が成就するまでつけていようと思ったのか、それとも、3年前から東京に雪が降らなかったのかのどちらなんでしょうか。 |
【短歌紹介處 番外編】
実は第四首に登場する短歌は他にもあります。
それが↓
「うす紅に おもいを残す鳳仙花(ほうせんか) 息ふきかけてみし 雪待ちの爪」
実はこの歌は啄木の歌ではなく、原作の伊井圭先生のオリジナル!
「啄木になって短歌を詠んでみたい!」という伊井先生の遊び心なのかも? pic.twitter.com/Y6N6pe4S2d— アニメ「啄木鳥探偵處」公式 (@kitsutsuki_DO) May 6, 2020
第五首 にくいあん畜生
にくいあん畜生1 |
北原白秋の「紺屋のおろく」
という詩。年上のお姉さんに気持ちを引かれつつも、相手にされないことから、感情が裏返って、最後には死ねばよいなどと思ってしまう、好きな子にいたずらをするような心理。以下、詩、全文。 ーーーーーーーーーーーーーーーー
にくいあん畜生は紺屋のおろく 猫を擁(かか)へて夕日の浜を 知らぬ顔してしやなしやなと。 にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢(きゃしゃ)な指さき濃青(こあお)に染めて、 金の指輪もちらちらと。 にくいあん畜生は薄情な眼つき。
黒い前掛(まえかけ)毛繻子(けじゅす)か、セルか、 博多帯しめ、からころと。 にくいあん畜生と、擁へた猫と、
赤い入日にふとつまされて、 潟に陥(はま)つて死ねばよい。 ホンニ、ホンニ…… |
にくいあん畜生2 |
演劇の中での劇中歌。
芸術座『生ける屍』の劇中歌アニメ本編とは関係ないですね、きっと。 北原白秋 一、 にくいあん畜生 は おしやれな女子 おしやれ浮氣 で薄情ものよ どんな男 にも好かれて好いて 飽いて別れりや知らぬ顏 二、 飽いて別れりや別りよとまゝよ 外に女子が無いじやなし、よ 何をくよくよ、明日もござる 男後生樂(ごしょらく)、またできる 三、
男後生樂、踊らぬ奴は やもめ男か、いくぢなし、よ 何をくよくよ、踊りさへをどりや すぐに女子も、來てたかる 四、
女子故なら身も世もいらぬ どうせ名もなし、錢もなし、よ まゝよ自棄くそ、梵天國(ぼんてんごく)ときめて 今日も酒、酒、明日も酒 五、
酒だ、酒、酒、まだ夜は明けぬ 明けりや工場の笛が鳴る、よ まゝよ自棄くそ一寸先や闇よ 今宵極樂、明日地獄 |
啄木が読んでいる
北原白秋 邪宗門 |
われは思ふ、末世の邪宗、切支丹(キリシタン)でうすの魔法。 黒船の加比丹(かひたん)を、紅毛の不可思議国を、色赤きびいどろを、匂鋭(においと)きあんじやべいいる、南蛮の浅留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、珍タ(ちんた)の酒を 見目(まみ)青きドミニカびとは陀羅尼誦(だらにず)し夢にも語る、 禁制の宗門神を、あるいはまた、血に染む聖磔(くるす)、芥子粒(けしつぶ)を林檎のごとく見すといふの欺罔(きもう)の器、派羅葦僧(はらいそ)の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。切支丹でうす=キリスト教の神 加比丹=船長 びいどろ=ガラス あんじやべいいる=オランダ石竹 浅留縞=インドのサントメ産の綿留繊 阿刺吉=蒸留酒 珍タの酒=赤ブドウ酒 ドミニカびと=カトリックのドミニカ派の僧侶
陀羅尼=梵語で、ここでは祈祷文 聖磔=十字架 欺罔の器=顕微鏡 派羅葦僧=天国 伸び縮む奇なる眼鏡=望遠鏡こちらのページより引用しました。 |
歯磨きに降りた啄木が持っている桶の中に入っているもの |
歯ブラシ、湯呑、粉の歯磨き粉。
歯磨き粉はこんな感じ。 歯ブラシは固いので、啄木が歯磨きしていた時はあんなにゴリゴリした音になっていたんですね。 こちらの画像2点は絵・ふわふわ点点様より引用しました。 大正~昭和の紙ラベル博物館様より引用。 |
わがために なやめる魂をしづめよと 賛美歌うたふ人ありしかな |
詩の意味 ここでは悩んでいる啄木のために、金田一が言葉を尽くして、啄木を慰めようとしている姿をあらわしている。 「きのう君を思って詠んだんだ」としれっという啄木は、回りくどいけれど、金田一に感謝しているってことを言いたかったんだと思います。 |
吉井 「朝ごとに かならず同じ浜辺にて 会えば笑ひてゆく少女(おとめ)あり」 |
浜辺はここでは新聞縦覧所のことで、少女は季久さん。
毎日顔を合わせるたびに笑顔を見せてくれる季久さんを思っている。 |
啄木 「あたらしき 洋書の紙の 香をかぎて 一途に金を欲しと思ひしが」 |
本を買って、要所の匂いを嗅いでいたら、「あ~お金が欲しい」と思った。
|
啄木が買った本 |
ハイネの詩集で1話で金田一が売ってしまった「ブッフ デル リーデル」 金田一に返した描写はありませんでしたが、啄木なりに金田一に申し訳なく思って、買って返そうかと思ったのかと。 本の行方はわかりません。 画像はこちらのページから引用しました。 |
野村胡堂 「あのこは俺の大事なものを盗んでいっちまったんだ・・・。 俺の心さ」 |
野村胡堂は銭形平次の作者
↓ 銭形平次はルパンの銭形警部のモチーフ ↓ カリオストロの城の銭形警部の言葉 「奴はとんでもないものを盗んでいきました 貴方の心です」 ↓ そこから拝借。 時系列はおかしいですが、一連の流れにつながりを持たせて面白いですね。
|
啄木 「大いなる 彼の体が憎かりき その前にゆきて ものを言ふ時」 |
上司の前でなんだか気後れしてしまったのは、上司と校正係という役職の違いに気後れしたのではなく、彼の体の大きさに気後れしてしまったのだ、というちょっと言い訳じみた詩。 |
朔太郎 「ただ願ふ 君の傍(かた)へに ある日をば 夢のやうなる その千年をば」 |
君のそばにいることを願う、夢のようなその長い時間を。
|
若山牧水 「山を見よ 山に日は照る 海を見よ 海に日は照る いざ唇(くち)を君」 |
最後の「いざ唇を君」は「キスしましょう」という誘いの文句。 直接的な言い方で情熱的な牧水の恋に対する態度が分かりますね。
朔太郎が上の詩で夢の実現を願う事に対して、こっちは相手に呼びかけているとも言えます。
アニメの画面もキスしてる描写ですね。 |
啄木 「行きましょうか、十二階下へ」 |
新聞縦覧所の事を指していて、つまりは売春を行っているところへ行こうと誘っている。
「けりをつける」と言っているのは金田一の童貞を何とかすること。 |
若山牧水 「酔えばみな 恋の埃のざれ言に 涙も混じる 若人たちよ」 |
みんなで酒を飲んで恋バナをしていると、熱くなって、涙が出てくるほどの情熱的な若者たちだなぁ
ってことかしら。 |
おえん 「花巻の出なんです」 |
花巻は岩手県にある地名。 啄木とは同郷ということ。 |
牧水 「尋ね来れば たまたま友がほろ酔いの 恋うれしき 朧夜(おぼろよ)の月」 |
尋ねてきたら、友達が飲んでいて、その友達の恋が嬉しく感じた朧月夜のことよ。 |
萩原朔太郎 「猫」 |
まっくろけの猫が二匹
なやましいよるの屋根のうへ(上)で ぴんとたてた尻尾(しっぽ)のさきから 糸のやうな(ような)みかづきがかすんでいる 『おわあ こんばんは』 『おわあ こんばんは』 『おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ』 『おわああ ここの家の主人は病気です』 |
啄木 「やっぱり同郷のものは心の根っこでつながっている気がします」 |
これを口にしたシーンは、先の朔太郎の詩の「猫」を詠んだ後なので、「猫」と「根っこ」がかかっている? |
啄木 「ふるさとを出(い)で来し子等(こら)の 相会(あいあ)ひて よろこぶにまさるかなしみはなし」 |
故郷を出てきた、自分(啄木)とおえんが、遠い異国の東京で出会うことができて、故郷を離れた悲しさよりも、出会うことが出来たうれしさの方が勝っている。
|
朔太郎 「殺人事件」 |
詩のタイトルが「殺人事件」 以下、全文 |
第六首 忍冬(すいかずら)
サブタイトルの忍冬 |
今回の話の終盤の吉井からの手紙にもあるように、金銀花の別名。
花言葉は「愛の絆、献身的な愛」季久さんのためにやっていない殺人の自白をした泉若、警察に捕まっている泉若を(啄木を殺してまで)助けたかった季久さん。 お互いの事を思いやっています。 |
冒頭の事件を説明している時の新聞 | 東京日日新聞。 毎日新聞の東日本地区の旧題号。
現在の毎日新聞東京本社発行の毎日新聞の前身。 東京日日新聞の名前だけれど、印刷された新聞では「日々」となっている。 この新聞は普通の新聞ではなく、錦絵新聞と呼ばれていて、読みにくかった新聞を一般の人でも読めるようにと簡単な言葉と挿絵で説明する一枚絵の新聞。 錦絵は浮世絵の版画のことで、多色刷りを行っていたので、カラーで表現できる
|
啄木 「金銀花に懸想(けそう)していたのもうなずける」 |
懸想とは、恋しているという事。 |
傀儡館の館主の声優 |
萩原朔太郎の孫である萩原朔美さん。
こういったコラボも面白いですね。 |
聞き取りの時に扉を閉めさせる傀儡館の受付の人 |
あまり人に聞かれたくない話という事を感じ取って、啄木に閉めさせた。 |
傀儡館の人のはっぴのマーク |
傀儡館(くぐつかん)の「く」 |
吉井さんが傀儡館の受付に渡した袋 |
傀儡館の入館料ではなくて、お心づけ。受付の人は懐に袋をしまっちゃいましたからね。 チップというにはやや量があるので、館主の情報をもらったことへの情報料ですね。 |
吉井 「造作もないだろうが、つかまえるのを手伝ってくれたら少しくらい手当を出してあげてもいいよ」 |
さっき啄木に出したお金の他に出すってことなんでしょうか。 |
平井 「人間と人形の情死、なんとも魅惑的な題材ですね。 人でなしの恋。 この世の外の恋でございます」 |
人の恋路を横からかっさらっていく吉井をなじって「人でなしの恋」といったのかと思ったら違いました。 平井(江戸川乱歩)の短編に「人でなしの恋」という作品があり、人形を愛する名士のお話です。 青空文庫に原文がありましたので、興味のある方はこちらからどうぞ |
覗きに来た平井 「石川先生から言付かった手紙を見てしまいまして」 |
普通に他人の預かりものの手紙を盗み見ている平井太郎。 |
若山牧水 山死にき 海また死にて 音もなし 若かりし日の 恋のあめつち |
アニメの中では季久さんへの思いをつづる歌となっています。 実際では、若山牧水が恋した小枝子さんが実は人妻で子持ちという事を知ってショックを受けた時に読んだ歌です。
5話の中で牧水は 山を見よ 山に日は照る
海を見よ 海に日は照る いざ唇(くち)を君 と詠んでいますが、これはこの小枝子さんと結ばれた時に詠んだ歌です。 なので、前回の詩が読まれたことを知っていると、前回の躍動的な、恋にワクワクしている雰囲気とは対照的に、この恋を諦めなければならないのかと落ち込んでいる様子が、今回の詩から感じられますね。 |
吉井 あはれなる 君よとひとり つぶやきぬ 世にも悲しき 恋の終わりに |
調べましたが、元の詩は出てきませんでした。
今作のオリジナルでしょうか。季久さんの境遇を思って悲しむ気持ちがあり、同時に自分の恋も終わりをつげ悲しみに暮れる気持ちを詠んでいますね。 |
啄木 「何か、かう、書いてみたくなりて、ペンを取りぬ ―― 花活(はないけ)の花あたらしき朝。」 |
「あたらしき」が朝にかかっているんではなくて、花にかかっています。
つまり、新しい朝ではなくて、花活けに新しく花が入った朝ということですね。 そんな新鮮な(?)、生き生きとした花の姿を見ると、自然と創作意欲が沸いて、ペンをとってしまったという事でしょう。 ただ、アニメの中では、部屋の中に花瓶も花も見当たらないので、花に触発されたという事はなさそうです。 吉井さんからの手紙を詠んだ直後ですので、吉井さんの一途な恋心と、恋を詠んだ歌に刺激されて何か書いてみようと思ったんですね。 |
夜、「金銀花」の格好で練り歩く傀儡館館主 | 金銀花のうわさが広まれば、見に来ようというお客が訪れるため。 |
啄木と吉井が食べていた鍋 |
湯豆腐。 寒い日には燗酒とともにいただくとおいしい。 中央にある濃い色のものは、おそらくつけダレ。 湯豆腐だけで食べるのもおいしいし、たれをつけて食べるのもおいしいものなのです。 お豆腐のたれ |
第七首 紳士盗賊
サブタイトルの紳士盗賊 |
江戸川乱歩(平井太郎)の「二銭銅貨」に出てくる紳士泥坊をもじったもの。
|
江戸川乱歩の二銭銅貨 |
・新聞記者に変装している
・5万円の給料支払いに5銭円の懸賞金→盗まれた金額の1割 ・「私」が置いた二銭銅貨から謎を推理。 ・二銭銅貨の中から暗号文 ・主人公と相棒が貧乏江戸川乱歩の二銭銅貨がモチーフですが、作中ではこの出来事をもとに平井太郎が二銭銅貨を書いたことになっているんでしょうね。でも、3話にて平井は原稿用紙に「二銭銅貨」と書き記しているので、アニメが時系列どおりに話を描いているとちょっと矛盾が生じていたりします。 |
東京朝日新聞 |
現・朝日新聞の 東日本地区での旧題 |
足立のズボンの足元 |
ふくらはぎのあたりから足に巻かれている。 |
足立 「とんでもありません」 |
「とんでもない」で一語なので、「ない」を変化させるのは本来おかしい。
「とんでもない」の丁寧な言い回しは「とんでもないことでございます」 「とんでもございません」という言い回しも文法的にはおかしいが、問題ないとされる認識が広がっている。
「失笑」みたいに本来の意味や使い方とは違う意味に変化していくところに言葉が生きていると思わされますね。
|
足立の吸っているフィガロのたばこ |
戦前まであったエジプトのキリアジ社の葉巻たばこ。 江戸川乱歩(平井太郎)の二銭銅貨にも出てくる。二銭銅貨では「高価な埃及(エジプト)の紙巻煙草」という表現。 刑事の捜査段階では「FIGARO」と表現されている。 |
マッチ箱 |
富士が描かれている。 |
室内でタバコと帽子 |
このあたり時代の差を感じますね。
今なら怒られそうですし、室内禁煙です。
僕達の現代の作法も先々の未来から見ると古臭くなるんでしょうね。
|
足立のメモの取り方 |
この時代は基本的に縦書き。 |
縦覧所張り紙 「竹本綾之助 ○○○(解読不能) 来たれ堂摺連!」 |
竹本綾之助は女義太夫の名跡。名跡というのは、代々継がれる名前。
歌舞伎では「中村勘九郎」が有名。「〇代目中村勘九郎」のような言い方をします。 女義太夫というのは、女性が義太夫語りをすること。娘義太夫とも言われた。
女性の芸人が禁止されていた時代があり、軽んじられていた。 1877年(明治10年)の寄席取締規則によって、女芸人が認められるようになると人気に火が付く。 竹本綾之助の初代は一度引退しており、1908年(明治41年)に復帰。アニメの中の時代は明治42~43年の時期の事なので、復帰した直後。
来たれ堂摺連!は「堂摺(どうする)連(中)」の意味。
義太夫語りの最中に「どうする」の掛け声をかけて、盛り上げていた客。 現代風に言うとアイドル(ここでは女義太夫)の追っかけである。 竹本綾之助が復帰したからみんなで集まろうと呼びかける張り紙。 解読不能の所はおそらく集まる場所が書いてあるんだと思います。 |
芥川が食べているカレー |
新聞縦覧所の見えるところに貼られているメニューにカレーのメニューはなかったはずですが、新メニューかな。 |
吉井 「5000円もあれば一生遊んで暮らせますよ」 |
明治の初期と後期で円の価値は変わってきますが、1円が現在の2万円~1000円くらいとのこと。
明治後期の方で1000円に近くなっていったようです。 1円=現代の2万円の価値なら5000円は1億円の価値がありますが、1円=現代の1000円なら500万にしかならないので、1円=現代の2万円くらいの感覚でしょうか。 |
やえちゃん |
季久さんは前回捕まっちゃったので。 |
コバタtobaccoの看板 |
tobaccoはたばこの英語表記。 たばこはもとはスペイン語またはポルトガル語の「tabaco」から。コバタはお店の名前とかではなく、右から読んでタバコ。 tobaccoはタバコの葉そのものを指し、cigaretteは紙巻きたばこを指します。
江戸時代からたばこを刻んでキセルで吸う文化があります。 一方、紙巻きたばこは明治から製造販売されたものなので、タバコの葉と、紙巻きたばこを両方扱う店が多くて、cigaretteではなくtobaccoになっているのではないかと。 |
風明館 |
東京都文京区に鳳明館というお宿がありましたが、こちらのことでしょうか。
「文豪缶詰プラン」などというちょっと変わったプランをやっていたこともあるようです。
|
咳をする啄木 |
啄木の死因は肺結核。
肺結核の症状に咳嗽(がいそう)、つまりは咳がある。 この頃から病気に侵されている描写。 |
お風呂でT.M.RevolutionのHotlimitみたいな恰好をしている人。 (黒の前掛けをしている人) |
三助(さんすけ)と呼ばれるお風呂で働く男性従事者。
お客の背中を流したり、お風呂の薪をくべたり、掃除したりする。 なお、女性の体を洗う事もあったようです・・・!
|
まるみやで居眠りしているおばあさんの後ろの商品 |
たばこ。
昔のたばこは缶に入れられて売られていました。 |
差し入れ屋 |
差し入れの語源として
「拘置・留置されている者に、外部から食べ物や必要な品物を届けること。また、そのもの。 」とあります。 留置所・拘置所に物品を届ける場合はルールがあり、そのルールに沿った物しか届けることが出来ません。
自殺防止・犯罪の隠ぺい防止・外部との連絡防止などいろいろな目的があります。 現在も差し入れ屋として、営業しているお店がありますので、拘留された場合は是非ご利用ください!
|
平井 「おびのこのようなもの」 |
帯鋸(おびのこ・おびのこぎり)。二銭銅貨に仕込めるくらいなので、針金にノコギリの歯が付いたようなものを想像してください。 |
暗号文 |
シマチンイグユドサ 二銭銅貨に挟まれていたので二文字飛ばしに読みます。 シマチンイグユドサ シンユウドウ カラ コドウグ ノ サツ ヲ ウケトレ ウケトリニン ハ タガネ ハジメ |
二銭銅貨での暗号文 |
二銭銅貨では南無阿弥陀仏を使った暗号文でした。 陀、無弥仏、南無弥仏、阿陀仏、弥、無阿弥陀、無陀、弥、無弥陀仏、無陀、陀、南無陀仏、南無仏、陀、無阿弥陀、無陀、南仏、南陀、無弥、無阿弥陀仏、弥、南阿陀、無阿弥、南陀仏、南阿弥陀、阿陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無弥陀、南弥、南無弥仏、無阿弥陀、南無陀、南無阿、阿陀仏、無阿弥、南阿、南阿仏、陀、南阿陀、南無、無弥仏、南弥仏、阿弥、弥、無弥陀仏、無陀、南無阿弥陀、阿陀仏、 これは南無阿弥陀仏の6文字が目の不自由な方が使用する点字と対応している。それによって解読することで、暗号文が解ける。 が、初版では暗号文が間違っていて、暗号が解けないようになっていた。 二銭銅貨は青空文庫にありましたので、興味がある方はこちらからどうぞ。 |
金田一の似顔絵を印刷したお札 | 冒頭の内田印刷所での印刷を見て思いついた可能性あり |
いつしかに 情をいつはること知りぬ 髭を立てしも その頃なりけむ |
いつしか気持ちを偽ることを覚えてしまった。ひげを生やしたのもそのころだったなぁ。 本当は仲良くしたいのに、意固地になってしまった自分を振り返っているんじゃないかと思います。ひげ生えてませんが。 |
第八首 若きおとこ
冒頭の処刑シーン |
捕まっているのが啄木の顔をしているのでわかりづらいですが、啄木が読んでいる本の著者ドストエフスキーになり切っている、というシチュエーション。
ドストエフスキーは、フョードル・ドストエフスキーで19世紀のロシアの作家です。 ドストエフスキーは28歳の頃に革命思想のサークルに参加していた罪で、死刑宣告をされ、実際に銃殺刑寸前まで行きましたが、執行寸前に皇帝ニコライ1世から特赦(特別に許されること)を受け、死刑をまぬかれます。 その時の描写ですね。 ドストエフスキーは死刑にはなりませんでしたがその後は4年もシベリアで服役することになります。
|
啄木 「この中に死の宣告からよみがえったドストエフスキーの事が描かれています。」 |
おそらくは「死の家の記録」という長編小説。 長編小説となっていますが、ドストエフスキーの獄中での経験をモデルにした体験記。
|
啄木 「京助さんは出ててもらえますか」 |
肺結核を自覚していたとしたら、金田一を感染させないため。 |
啄木 「夏目先生は修善寺の旅館で倒れたそうです」 |
夏目漱石は1910年(明治43年)6月に執筆中に胃潰瘍で入院。
1910年8月に門下生の勧めで伊豆の修善寺に療養にでかけるも、10月に800gいに及ぶ大吐血を起こし、瀕死の重体に。 そのことを言っています。
|
速薬命散 |
この名前の薬は検索では引っかかりませんでした。
「命を散らすなんてとんでもない!」という声も聞こえてきそうですが、「散」は薬の形状の事を言っています。
粉末状のお薬の事を「散」と言っています。 また、「病を散らす」の意味もあり、急病を治すときに即効性のあるお薬とも言えます。 CMで聞いたことあるかもしれない龍角散も粉末状のお薬ですね。
|
階段を降りる金田一 |
部屋を飛び出る速度の割には、階段を下りる速度が遅いです。 これは、昔の建物には建築基準法がなく、段差がかなりある建物があります。 現在の建築基準法では階段一段が最大でも23cmになります。 1段飛ばしだとその差は46cm。何とかなりそうです。 でも、作画基準だと、2段で金田一の股下あたりまでの高さがあります。 これを急いで下りるのは怖いでしょう。なので、ゆっくり慎重に急いで下りてるんですね。 |
山師は山で果てる |
山師は、鉱脈を見つける人の事。地中に埋まっている物を見つけるので、大変でしたが、一発あてた時の見返りは大きいものです。
そんな山師は、鉱脈を見つけるために、山を歩き、山の事は熟知しているはずなのに、逆に「山の事を知っている。山には慣れている」という自信過剰な気持ちと油断してしまう気持ちから、山で倒れてしまうという意味になってしまいます。 猿も木から落ちると似ている意味。
|
よく笑ふ若き男の 死にたらば すこしはこの世の さびしくもなれ |
よくわらう若き男は啄木の事を指しています。
啄木はよく笑う明るい人物として周囲から思われていたんですね。アニメ中でもあまり沈んだりする描写がありません。 そんな自分が死んだとしたら世の中は寂しく思ってくれるのだろうか。いや、きっと変わらないのだろうな。 と思って、自分のちっぽけさを感じている歌です。実際には、自分の才能が世に認められず、苦しんでいた時期に詠んだ歌です。 自分の才能に明るい未来を見いだせない時は絶望的な気分になります。そこで今自分が死んだとしたらどうなるだろう・・・と考えることは誰にでもあるのではないかと思いますね。 |
啄木 「むこうじゃアドレッセンス・・思春期というらしいな」 |
むこうは英国。英語でって意味ですね。
この時に、啄木は環の事を男性だと思って接しています。 そして、今までは些細なことを見逃さずにいた啄木でしたが、環さんの性別を見逃すあたり、弱っているのかもと思わせられます。
|
環さんの服装 |
環さんの性別を見抜けなかったと言いましたが、この時代の女性はほとんどが着物。
今まで出てきた佳代さんもお季久さんもみんな着物でした。 次のコウモリ人間のシーンも女性はみんな着物です。 「洋装は男性が着るもの」というのが一般的だったのです。 なので、洋装をしているのは男性、声が女性的であっても男性。そういう思い込みから、判断をしてしまったのかもしれませんね。 ちなみにブラジャーも戦後からの普及なので、この時代にはありませんでした。
|
愁ひある 少年の眼に羨みき 鳥の飛ぶを 飛びてうたふを |
啄木が体調がよくないので、自由に飛べる鳥をうらやんでいる歌のように聞こえます。 啄木は中学時代に初めて上京しますが、その時に感じた地元との違いに圧倒される様を詠んだ歌とも言われています。 |
啄木 「だめですね からきしです とりつくしまもありません」 |
環さんへの思いがどうにもならないことを言っている。
|
環 「実はたまに人の気配を感じるんです」 |
屋根裏を見ている環さんと啄木。
屋根裏からの事件というと、平井太郎(江戸川乱歩)の「屋根裏の散歩者」があります。 今回の事件と関係あるかはまだわかりませんが、屋根裏からの殺害も可能!という事になりますね。屋根裏の散歩者も青空文庫で読めますので、興味がある方はどうぞ。 屋根裏の散歩者 |
ゆべし(柚餅子) |
柚餅子は柚子を加工した加工食品、あるいは和菓子を指すが、ここではクルミ入りの餅菓子である。 ちなみに作画が似たものとして「きんつば」かとも思いましたが、加世さんに「加世さん、お見舞いのゆべし、おいしかったです。ありがとう」と言っていたのでゆべしですね。 |
サブタイトル「若きおとこ」 |
途中で啄木が詠んだ |
第九首 仕遂げしこと
人身売買 |
芸妓などの契約も人身売買にあたるが当時はそれが普通として受け入れられていた。 お滝さんもそれにあたるのかな。
また、製糸・紡績産業が発展していた当時、工場で働く労働力として子供が雇用契約という形で人身売買させられ長時間労働を行っていたりもした。 日本で完全に人身売買が廃止になったのは戦後になってから
|
おにぎり |
きちんと女性陣と啄木が握ったおにぎりのサイズが違います。 啄木が握ったおにぎりに当たった人はラッキー。 |
お米 | |
環 「告解をなさっていたのです」 |
告解は罪の赦しを得るのに必要な儀礼や、告白といった行為。
明治時代から使われていた言葉ですが、現在では告解を使っている修派はなく、それぞれが独自の言葉を用いている。
懺悔(ざんげ)に相当するもの。
|
金田一 「クロポトキン・・・青年に訴う?急にどうしたんですか」 |
金田一は内容は知らなかったものの、クロポトキンの名前から内容を想像したようです。
|
青年に訴う |
ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン(Пётр Алексе́евич Кропо́ткин、Pjotr Aljeksjejevich Kropotkin、 1842年12月9日 – 1921年2月8日)は、ロシアの革命家、政治思想家であり、地理学者、社会学者、生物学者。
青空文庫に翻訳がありましたので、気になる方はこちらからどうぞ
青空文庫 青年に訴う
|
やる気を出した啄木 |
前回の環さんの「女を口説くばかりでなく社会の役に立つべき」という言葉から、啄木は自身の才能を世の中に役に立たせることを思いつきます。
それまでは自分には自信を持っていたものの、周囲から認められずにいましたが、環さんの言葉によって自分を認めてくれる人がいるという事を認識しました。 自分を認めてくれる人のために働きたい、役に立ちたいと思うもの。 そこで、環さんの役に立つにはどうしたらいいのかと考えて今回やる気を出しています。
金田一の場合は、啄木の歌の才能に惚れ込んでいるので、現在の啄木を受け入れてそのままでいいというスタンスなので、こうすべきという事は言ったりしません。
また、環さんは女性で金田一は男性なので、女好きの啄木としたら女性のほうに耳を傾けるのは必然かもしれませんね。
|
生ける屍 |
現代では割と多くの人が認知しているような言葉ですが、金田一は知らない言葉だったようです。 言葉の認知度の差が現代とは違うようですね。 |
警部が窓を開け閉め |
現場のものには触らないのが現代の鉄則ですが、警部はバンバン開け閉めしてます。
指紋の採取が始まったのは1912年から。
作中は1910年頃なので、事件が起きたら指紋をとるという流れはまだなかったのです。 |
第十首 幾山河
芥川 「鬼の霍乱(かくらん)」 |
鬼の霍乱とは、いつも健康で元気な人が体調を崩すといった意味合いです。 鬼は強く、病気などにはならなさそうなイメージですが、それでもたまには病気になって寝込むこともあることから。
霍乱とは日射病を指す言葉。
あるいは夏に起きやすい吐き気・下痢を伴う病気の事を言います。 鬼の霍乱は体調の事を指すことが多いのですが、ここでの芥川の真意としては「いつもはお金を借りるばかりなのに急にお金を返している」という「いつもとは違う状態」を指しています。
|
啄木 「森田君の『煤煙』が評判になったでしょう」 |
森田草平の「煤煙」という作品
夏目漱石の門下生の一人。
平塚明子(平塚らいてう)との心中未遂を小説としたものが「煤煙」
平塚明子は官僚の令嬢という、名の知れた人物が心中未遂を起こしたので世間に知れ渡っており、かつ、その出来事が小説化されたとなれば、注目されるのは当然の流れでした。 で、この煤煙の小説化は夏目漱石が勧めて実現したものですが、夏目漱石は朝日新聞社に務めており、森田草平を嘱託員として雇います。 その時、石川啄木も朝日新聞社に勤めていたので、二人の間には親交があったのです。
|
金田一 「露悪的なのは気に入らないって」 |
露悪的というのは、悪いことをさらけ出すようなこと。
煤煙では「心中」を扱っていますが、心中というのは一般的には良くないこととされています。
それを広めるような小説をが流行るというのはよくないと啄木は考えていたのでしょう。 |
啄木 「社会を変えうる力を持たなければ書いても無意味です。」 |
環さんの言葉と前回読んでいたクロポトキンの「青年に訴う」の影響で社会の役に立つことをしたいと考えるようになっています。
|
啄木 「歌なんて所詮は趣味です。男子一生の仕事ではありません」 |
1908年に夏目漱石が「新潮」に「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎(ぶんげいはだんしいっしょうのじぎょうとするにたらざるか)」という文を寄せています。 「文芸をやることは一生の仕事として就くに値する」と文中で夏目漱石は言っています。
ただし、それもある基準によってみれば、見方は変わると書いてあり、健康な体を持っているなら体を活かした「労働者」として働いた方が偉いとなるし、お金を稼ぐのが偉いという基準なら「実業家」が偉いと言っています。
啄木はおそらくこれを読んでいたので「男子一生の仕事」と口にしています。 「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」は青空文庫にあるので興味のある方はこちらのリンクからどうぞ。 青空文庫-文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎 |
園部の持っているたばこ 国華 |
戦前に売られていたたばこ。口付たばこという種類で、口元の部分にはフィルターがなく、ストローのようになっています。
なので、そのまま吸うと、巻いたたばこの葉が口の中に入ってきてしまいます。 なので、歯でそのストローの部分を噛んで平たくして、タバコの葉を流入させず、煙を吸う仕様になっています。 |
啄木の自傷行為 |
また、実際に自傷行為をしていたようで、その時は胸付近を傷つけていたそうです。 |
幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく |
どれだけの山河をこえ、旅を重ねていけば、自分の寂しさを埋めてくれるような土地があるのだろうか。そんな気持ちを胸にして今日も旅をしている、という事ですが、旅の先の新天地を求める気持ちが希望を感じさせます。 でも、この歌を聞いて、啄木も金田一も旅の果てに結局は自身のふるさとこそが寂しさを埋める地なのだと感じたのでしょうね。 |
啄木の来た場所 |
おそらくは盛岡城跡。
そして駅から降りた時に見える山は岩手山。 |
盛岡城跡
岩手山
第十一首 逢魔が刻
啄木 「子供がかどわかされたのですが」 |
拐(かどわ)かす。
誘拐や連れ去りのこと。 人さらいのような意味合いも。 |
啄木 「京助さんも学校の講義が忙しいでしょうし」 |
授業を受ける側ではなくて教える方。 金田一は國學院大學の非常勤講師として働いていました。 |
屋根の上の三毛猫 |
一般的に三毛猫はメス。遺伝子的なもので毛の色が決定していて、茶色の毛が出てくるのはメスの遺伝子の組み合わせのみ。ただし、まれにオスの三毛猫もいます。オスの三毛猫は貴重種ですね。
|
金田一 「これは大店(おおだな)ですね・・・。」 |
大きなお店、商店ということ。
店構えが立派なのでそう感じたのでしょう。 |
萩原朔太郎 「石川さんのために骨を折る気はさらさらありませんし」 |
前回、金田一の金を使って豪遊していた啄木を見て、あんまり啄木にいい思いを抱いていないため。 |
米屋の部屋の掛け軸 五穀豊穣 |
米屋なので、豊作祈願の掛け軸をかけている。 米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)または稗(ひえ)を指して五穀。 豊穣は豊かに実る事。 |
町内の商家で作っている無尽(むじん)の会 |
無尽とは、お金を集める金融の仕組み。
町内のお店から、一定期間ごと(例えば一ヶ月に一回など)にお金を出し合って積立てていき、ある額になったら会員に支払いをする。 この支払はお金という形をとることもあるし、旅行、宴会などといったイベントの費用となることもある。 各地での仕組みは違うため、積み立てたお金をどのように使うかは、その会ごとにさまざまである。 |
簡にして要 |
「簡にして要を得る」の言い回しが多い。 |
金田一 「同窓のよしみで手伝ってもらうわけには・・・」 |
金田一も野村胡堂も盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)の同級生。
古い付き合いだからどうか・・・とおねがいしている。 |
逢魔時(おうまがとき) |
大禍時(おおまがとき)とも。 夕方の薄暗くなる時から、夜に移り変わる時間帯。 現在の時刻で大体18時くらいを指す。魔物に出会いそうなそんな雰囲気から。 |
迷わし神、隠し神 |
迷わし神→人を迷わせる神。 隠し神→妖怪。夕方まで遊んでいる子供をさらう妖怪。 陰陽師 |
巾着についた匂い |
丁子。クローブとも。
香辛料として用いられる。カレーに入ってたりします。 |
野村胡堂の投げ銭 |
野村胡堂は後年「銭形平次」を執筆しているので、そこから。 |
米屋の部屋の掛け軸 五穀豊穣 |
米屋なので、豊作祈願の掛け軸をかけている。 米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)または稗(ひえ)を指して五穀。 豊穣は豊かに実る事。 |
興(きょう)来(きた)れば 友なみだ垂れ 手を揮(ふ)りて 酔漢(よいどれ)のごとく なりて語りき |
オープニングにも流れている歌ですね。
金田一は、アニメだと興奮した時に女口調になるくらいで、そこまで活発な人物として描かれていませんが、史実ではビールが好きで、飲んで饒舌になることもあったようです。 啄木にとっては、金田一のような気の置けない間柄の人と飲んで、友が楽しそうに話しているのが嬉しかったんじゃないかなと思います。 歌については1話の解説の時に少し触れていますので、1話の解説を読んでみてください。原作も読んで解説されている方がいらっしゃいました。
原作を読んでいると、こういうアニメとの差が見えて楽しそうですね。 公式ツイッターでも以下のように解説しています。
|
第十二首 蒼空
冒頭の告解 |
加世さん視点でそれぞれ見つめていきます。 1人目:達吉。「毎日毎日無理やり・・・」 2人目:御曹司が女中を殺した事件がありましたが、その女中。 3人目:11話で亡くなっていた男性。「政府のお偉いさんが使用人を殺した」と金田一は言っているので、その使用人。 4人目:成瀬。 |
啄木 「それでも新しい明日は来るとぼくは信じています」 |
その直前の4人が絶望に打ちひしがれているのに対して、未来を明るいものと信じている啄木との対比表現。
|
啄木 「実は人の命がかかっていましてね」 |
成瀬が村川に対して恨みに思っているのは、おそらく村川から借りたお金が暴利で、身ぐるみはがされるくらいにお金を取られてしまったこと。 そして、お金がないので、おなかが空いて、やけになって村川を襲おうとしていた。 そこで、啄木は成瀬にすき焼きをごちそうしお腹が満たされたうえで、村川への復讐心を変えようとしていた。 実際、すき焼きを食べ、いくばくかのお金をもらった成瀬は故郷へ帰っていく。 村川の命も成瀬の命も救ったことになります。 |
加世さんのしたこと | 告解に現れた苦しんでいる人の悩みを聞き、悩みのもとになっている人物を、(社会的に)抹殺しようとした。
悩みに来た人たちに、「生きる意味」として、世間に害悪をばらまいている人物を殺させようとした。 達吉の事件の場合は、実行したものの、啄木が告発状が偽物だという事を見破ったので、小栗は罪に問われていません。 環さんの時も園部を告発するために、環さんをそそのかしたとも言えます。 |
不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸われし 十五の心 |
啄木が、十五の時に詠んだ歌ではなくて、後年、若いころを思い出して読んだ歌になります。 不来方の盛岡城跡にて、草の上に寝転んでいると、空に吸い込まれそうだった十五の頃の私の心よ。 爽やかな雰囲気の歌ですね。 そんな青空と、寝転んでいるので向かい合っているわけですが、一面の空に自分の心が吸われるような感覚というのは、若いころにしか体験できないものではないでしょか。 大きな空に向かって、気持ちを持つというのは、それだけ未来に向かって希望だとか明るい気持ちを持っているという事になります。 が、この前後の歌の関係からすると、そこまで爽やかでもありません。 啄木はこの盛岡城跡には、授業を抜け出して、来ているとされています。 教室の窓より遁(に)げてただ一人かの城址(しろあと)に寝に行きしかな 悩みや鬱屈した思いを抱えて、教室を飛び出し、盛岡城まで来た啄木は内面は重い気持ちがあったかもしれません。 でも、そんな気持ちも関係なしに大きく広がっている空と向かい合っていると、吸い取られて、こころが晴れていくようだったと感じたのでしょう。 歌を作ったのが大人になってからなので、少年時代を思い出した時に、印象に残っていた出来事に違いありません。 加代さんが15歳という設定は、この歌にかけるために作られた設定でしょう。 |
啄木 「そういえば、加世さんておいくつなんですか?」 加世 「来月15になります」 |
この頃、満年齢と数え年の切り替えを行うよう政府からの指導があったのです。
明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」を受けて、満年齢を使用するようにしていますが、旧暦の年齢計算では数え年が使われていました。 1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日 法律第50号)」で、明治6年太政官布告第36号が廃止され、満年齢に一本化されることとなりましたが、一般的には数え年が使われ続けました。 1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律(昭和24年5月24日 法律第96号)」により、満年齢での年齢の数え方を定着させました。 なので、加世さんが数え年で数えていたとしたら、この時は満年齢にして13歳。 満年齢での年齢を考えていたらこの時は14歳になります。 |
金田一 「あ、日本総百科事典がある」 |
日本総百科事典は調べても出てこなかったので、別の百科事典の改名でしょうか。
|
加世さんが、盛岡城で桜の花びらをつかみ取ろうとするしぐさ |
桜の花びらをつかむと願い事が叶うと言われています。 でも、加世さんは花びらをつかむことが出来ませんでした。 |
萩原朔太郎 「小説の方はどうだい」 平井太郎 「はい、団子坂の古本屋を舞台にしたものを考えていまして」 |
|
縦覧所の壁にかかっている額「己が罪」 | 己が罪は、菊池幽芳の家庭小説。 1900年から1901年にかけて連載。 1908年に映画化。己が罪の文字の右側には「池幽芳著」文字があるので、書籍の方を宣伝しているのかもしれません。でも、時代的には映画の方が公開が近いので映画かも。 |
吉井勇 「君子豹変す、さ」 |
君子などの得の高い人物は、自分に過ちがあれば、即座に正して行いを変えるということ。
萩原朔太郎の「恋を応援する 君子豹変す、が一つの言い回しなのですが、自分の事を君子と例えているならかなりの自信家ですね。 |
縦覧所の壁にかかっている額「探偵奇譚ジゴマ」 |
1911年11月にに浅草の金龍館で封切られ大ヒット。 内容としては怪盗ジゴマの犯罪劇(殺人・強盗など)であったため、影響を受けて犯罪に走るものが現れた。 そのため、上映禁止の措置がとられている。 |
吉井勇 「いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 朱き唇 褪せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」 |
実際に吉井勇作詞の歌である。 |
啄木の最後の歌 | 見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。 給仕づとめの少年が たまに非番の日曜日、肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ…… 見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。リイダアの独学をする少年と、飛行機の対比がある歌。 高い位置を飛んでいる飛行機と、自宅で独学している少年。 少年には仕事があり、肺病持ちの母親がいて、色んなことにとらわれている状態です。 でも、そんな環境でも独学して高みを目指そうとしている少年に、「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。」 アニメ中では、肺病に侵されている啄木が、苦しい状況だけれど、それでも自分にできることをし遂げて高みを目指すことの宣言に聞こえてきますね。 |
金田一が持ってきた「悲しき玩具」 |
啄木の死後に編纂された詩集。 アニメ中では金田一は「じゃあ、また」と、さよならではなく、再会を予感させる言葉で啄木に挨拶している。 |
啄木鳥探偵處の原作
啄木鳥探偵處 (創元推理文庫)
啄木鳥探偵處の原作は伊井圭先生の「啄木鳥探偵處」です。
「高塔奇譚」「忍冬」「鳥人」「逢魔が刻」「魔窟の女」の5編を収録しています。
アニメでは、放送順序が違いますが、これは視聴者が混乱しないように時系列順に事件を並べているものと思われます。
2話、3話で扱った「魔窟の女」は本の中では最終話になっていますし、4話の「高塔奇譚」は実はこのシリーズでは第1話にあたるんですね。
伊井先生は、もうお亡くなりになっていて(1948-2014)、このアニメを見ることはできなかったのですが、もしみられても恥ずかしくないような作品に仕上がっていますね。
エンディングテーマはちょっと物言いがつきそうな感じですが・・・。
ちなみに創元推理文庫が原作で、アニメ化した日本の作品はこの啄木鳥探偵處が初だそうです。
海外作品では、アガサクリスティーの作品が『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』として2004年にアニメ化されています。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません